「日米和親条約と日米修好通商条約で、開いた港がどちらだったか混ざってしまう」「条約改正で、陸奥宗光と小村寿太郎が何をしたのか区別できない」
外交の歴史は、中学受験の社会の歴史で、時代をまたいで出題されるテーマです。「外国との関係」という1本の線で各時代をつなぐと、ばらばらに覚えていたできごとが整理できます。年号や条約の内容、人物もよく問われます。
この記事では、塾なしで中学受験を目指すご家庭に向けて、日本の外交の歴史を時代の流れで整理し、覚え方をまとめました。
外交の歴史の全体像

古代:中国に学ぶ
- 607年:聖徳太子が、小野妹子を遣隋使として隋に送る。対等な国の関係をめざした
- 630年〜:遣唐使を送り、唐の制度や文化、仏教を学ぶ
- 894年:菅原道真の提案で、遣唐使の派遣を停止。その後、国風文化が発達する
古代の外交は「中国に学ぶ」。遣唐使の停止(894年)のあと、日本独自の国風文化が生まれます。
中世:貿易と元寇
- 平安時代末:平清盛が、宋との貿易(日宋貿易)を進める
- 1274年・1281年:元が2度にわたって九州北部にせめてくる(元寇)。鎌倉幕府の執権は北条時宗。元寇のあと、幕府は戦った御家人に十分な恩賞をあたえられず、不満が高まった
- 室町時代:足利義満が、明との貿易(日明貿易)を始める。正式な貿易船と倭寇を区別するため、勘合という合い札を使ったので、勘合貿易ともいう
近世:南蛮貿易から鎖国へ
- 1543年:ポルトガル人が種子島に鉄砲を伝える
- 1549年:フランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝える
- 南蛮貿易:ポルトガルやスペインとの貿易
- 江戸時代初め:朱印船貿易で、東南アジアに日本町ができる
その後、江戸幕府はキリスト教を禁止し、貿易を制限していきました。1639年にポルトガル船の来航を禁止し、1641年にオランダ商館を長崎の出島に移して、いわゆる鎖国の体制が完成しました。出島は、扇形をした人工の島です。
鎖国中の4つの窓口
| 窓口 | 相手 |
|---|---|
| 長崎 | オランダ・中国 |
| 対馬藩 | 朝鮮(朝鮮通信使) |
| 薩摩藩 | 琉球王国 |
| 松前藩 | アイヌの人々 |
鎖国中も、外国との交流が完全になくなったわけではありません。4つの窓口で交流が続いていました。
開国と不平等条約
| 年 | 条約 | 主な内容 |
|---|---|---|
| 1854年 | 日米和親条約 | 下田と函館の2港を開く |
| 1858年 | 日米修好通商条約 | 函館・神奈川(横浜)・長崎・新潟・兵庫(神戸)の5港を開き、貿易を始める |
1853年にペリーが浦賀に来航し、開国を求めたことがきっかけです。日米修好通商条約は、大老の井伊直弼が、朝廷の許可を得ないまま結びました。日米修好通商条約は、次の2つの点で日本に不利な不平等条約でした。
- 領事裁判権(治外法権)を認めた:日本で罪をおかした外国人を、日本の法律で裁けない
- 関税自主権がない:輸入品にかける税の率を、日本が自由に決められない
条約改正
| 年 | できごと | 外務大臣 |
|---|---|---|
| 1894年 | 領事裁判権の撤廃に成功 | 陸奥宗光 |
| 1911年 | 関税自主権の回復に成功 | 小村寿太郎 |
条約改正は「1894年・陸奥宗光・領事裁判権」→「1911年・小村寿太郎・関税自主権」の2段階。
例題1:日米修好通商条約の不平等な点のうち、1911年に改正されたのはどちらですか。
関税自主権がないことです。小村寿太郎が外務大臣のときに、回復に成功しました。
明治時代の戦争と条約
| 戦争 | 講和条約 | 主な内容 |
|---|---|---|
| 日清戦争(1894〜1895年) | 下関条約 | 清が朝鮮の独立を認め、台湾などを日本にゆずり、賠償金をはらう |
| 日露戦争(1904〜1905年) | ポーツマス条約 | 樺太の南部などを日本にゆずる。賠償金はなし |
日露戦争では、賠償金が得られなかったことに国民の不満が高まりました。
戦後の外交
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1951年 | サンフランシスコ平和条約を結ぶ。同時に日米安全保障条約を結ぶ |
| 1952年 | 平和条約が発効し、日本が独立を回復する |
| 1956年 | 日ソ共同宣言でソ連と国交を回復し、国際連合に加盟 |
| 1965年 | 日韓基本条約で、韓国と国交を正常化 |
| 1972年 | 日中共同声明で、中国と国交を正常化。同じ年、沖縄が日本に返還される |
| 1978年 | 日中平和友好条約を結ぶ |
1956年は「日ソ共同宣言→国連加盟」。ソ連と国交を回復したことで、国連加盟が実現しました。
よくあるまちがいと対策
- 日米和親条約で貿易が始まったと考える:貿易が始まったのは日米修好通商条約
- 条約改正の順番を逆にする:領事裁判権(1894年)が先、関税自主権(1911年)があと
- 日露戦争で賠償金を得たと考える:ポーツマス条約では賠償金はなし
- 国際連合への加盟を1951年とする:加盟は1956年の日ソ共同宣言のあと
家庭での覚え方のコツ
「外国との関係」だけの年表を作る
外交に関係するできごとだけを書き出した年表を作りましょう。時代ごとの政治の流れとは別に、1本の線で見ると、つながりが分かりやすくなります。
地図で港の位置を確かめる
開国のときの港(下田・函館・横浜・長崎・新潟・神戸)を地図で確かめてみてください。場所と条約が結びつきます。
人物とセットで覚える
小野妹子、菅原道真、平清盛、北条時宗、足利義満、ペリー、陸奥宗光、小村寿太郎と、外交にかかわった人物を順に並べると、流れが頭に入りやすくなります。
外交の歴史のよくある質問
何年生で学びますか?
小学校の社会では、6年生で歴史を学びます。中学受験向けの教材では、5〜6年生の歴史の学習の中で、時代ごとに学ぶことが多い内容です。
明治時代の外交はどこでくわしく学べますか?
不平等条約の改正や日清・日露戦争は、明治時代でくわしく解説しています。
戦後の外交は公民とも関係がありますか?
はい、国際連合への加盟や国際協力は、公民の国際連合でも学びます。歴史と公民をつなげて覚えましょう。
練習問題にチャレンジ
問題1:894年に、遣唐使の停止を提案した人物はだれですか。
問題2:鎖国中、長崎で日本と貿易をしていた国を2つ答えましょう。
問題3:1894年に領事裁判権の撤廃に成功した外務大臣はだれですか。
問題4:日本が国際連合に加盟したのは何年ですか。
答え
問題1:菅原道真です。
問題2:オランダと中国です。
問題3:陸奥宗光です。
問題4:1956年です。
練習プリント(無料)
この記事の内容をたしかめる「初級」の練習プリントです。問題1ページと、解答・要点まとめ1ページのA4のPDFです。印刷して使ってください。
まとめ:外交は「1本の線」で時代をつなぐ
日本の外交は、古代は中国に学び、中世は貿易と元寇、近世は南蛮貿易から鎖国へ、近代は開国と条約改正、戦後は独立回復と国交回復、という流れで進んできました。外国との関係という1本の線で各時代をつなぐと、年号や条約が整理しやすくなります。