「縄文土器と弥生土器のちがいが、うまく説明できない」「三内丸山遺跡と吉野ヶ里遺跡が、どの時代だったか混ざってしまう」
縄文・弥生・古墳時代は、中学受験の社会の歴史で、最初に学ぶ時代です。年号はあまり出てきませんが、人々のくらしの変化、使われていた道具、遺跡の場所などが、写真や地図とともに出題されます。
この時代のポイントは、「米づくりが始まって、くらしがどう変わったか」です。この記事では、塾なしで中学受験を目指すご家庭に向けて、3つの時代のくらしの変化、主な遺跡、人物を整理し、家での覚え方をまとめました。
3つの時代のくらしの変化

| 時代 | くらし | 主な道具・建物 |
|---|---|---|
| 縄文時代 | 狩り・漁・木の実の採集 | 縄文土器、打製石器・磨製石器、たて穴住居、土偶 |
| 弥生時代 | 米づくりが広まる | 弥生土器、石包丁、高床倉庫、青銅器・鉄器 |
| 古墳時代 | 大王や豪族が力をもつ | 古墳、はにわ、須恵器 |
くらしの変化は「とる生活(縄文)→米をつくる生活(弥生)→大きな力をもつ王の登場(古墳)」。
旧石器時代と縄文時代
旧石器時代
日本列島に人が住み始めたころは、石を打ち欠いてつくった打製石器を使い、ナウマンゾウなどの大型の動物を追って移動しながらくらしていました。群馬県の岩宿遺跡で、打製石器が発見されたことで、日本にも旧石器時代があったことが分かりました。
縄文時代のくらし
気候があたたかくなると、人々は、たて穴住居をつくって、一つの場所に住むようになりました。
- 狩り・漁・木の実の採集で食べ物を得た
- 縄目の文様がついた、厚手でもろい縄文土器を使った
- 食べ物を煮たり、たくわえたりできるようになった
- 貝がらや動物の骨などを捨てた「貝塚」が残っている
- 豊かなめぐみをいのるため、土偶をつくったと考えられている
貝塚は、当時の人々が何を食べていたかが分かる、大切な手がかりです。
東京都の大森貝塚は、明治時代にアメリカ人のモースが発見しました。青森県の三内丸山遺跡は、大きなむらがあったことが分かる、縄文時代の代表的な遺跡です。
弥生時代
米づくりの広まり
大陸から米づくりが伝わり、各地に広まりました。米づくりによって、人々のくらしは大きく変わりました。
- 田のそばにむらをつくって住むようになった
- 石包丁で稲の穂をかり取った
- 収穫した米を、ねずみや湿気を防ぐ高床倉庫にたくわえた
- うすくてかたい、赤褐色の弥生土器を使った
- 青銅器(銅鐸・銅剣など)や鉄器が伝わった
むらからくにへ
米づくりが広まると、たくわえた米や土地、水をめぐって、むらどうしの争いが起こるようになりました。強いむらは、周りのむらを従えて「くに」になりました。
佐賀県の吉野ヶ里遺跡では、むらのまわりを深いほりやさくで囲んだあとが見つかっており、争いがあったことが分かります。静岡県の登呂遺跡では、水田のあとが見つかっています。
中国の歴史書に書かれた日本
- 57年:奴国の王が、中国(漢)の皇帝から金印をさずけられた。福岡県の志賀島で「漢委奴国王」ときざまれた金印が見つかっている
- 3世紀:邪馬台国の女王卑弥呼が、中国(魏)に使いを送り、「親魏倭王」の称号と、銅鏡などを受けた(「魏志」倭人伝に記録)
卑弥呼は邪馬台国の女王。30ほどのくにを従え、まじないで政治を行ったとされています。
古墳時代
古墳と大和政権
3世紀後半ごろから、各地の豪族や王の墓として、大きな古墳がつくられるようになりました。前方が四角、後方が円形の「前方後円墳」は、日本独特の形です。古墳のまわりや上には、はにわが並べられました。
大阪府堺市の大仙古墳(仁徳天皇陵とされる)は、日本最大の前方後円墳です。
奈良盆地を中心とする豪族たちは、大王を中心に「大和政権(ヤマト王権)」をつくり、5世紀ごろには九州から東北地方南部まで勢力を広げました。
渡来人
中国や朝鮮半島から日本にわたってきた人々を、渡来人といいます。渡来人は、次のような技術や文化を伝えました。
- 漢字や儒教、のちに仏教
- 須恵器(かたい土器)をつくる技術
- 機織りや金属を加工する技術
時代を区別するキーワード
3つの時代は、写真や説明文を読んで「どの時代のものか」を答える問題がよく出ます。次のキーワードで区別しましょう。
| キーワード | 時代 |
|---|---|
| 縄目の文様、厚手でもろい土器、土偶、貝塚 | 縄文時代 |
| 石包丁、高床倉庫、銅鐸、うすくてかたい土器、ほりやさくで囲まれたむら | 弥生時代 |
| 前方後円墳、はにわ、大王、渡来人、須恵器 | 古墳時代 |
道具や建物の名前を見たら、「米づくりと関係があるか」を考えると、弥生時代かどうかが分かります。
例題1:銅鐸は、どの時代に使われていたと考えられていますか。
弥生時代です。銅鐸は、大陸から伝わった青銅器で、米づくりのまつりに使われたと考えられています。
よくあるまちがいと対策
- 縄文土器と弥生土器の特ちょうを逆にする:「縄文は厚手でもろい、弥生はうすくてかたい」
- 高床倉庫を縄文時代と答える:米をたくわえる倉庫なので、米づくりが広まった弥生時代
- 遺跡と時代を取りちがえる:「三内丸山=縄文、吉野ヶ里・登呂=弥生、大仙古墳=古墳」
- 金印と卑弥呼を混ぜる:「金印=奴国(57年)、卑弥呼=邪馬台国(3世紀)」
家庭での覚え方のコツ
博物館や写真で道具を見る
土器や土偶、はにわ、銅鐸などは、写真を見て答える問題がよく出ます。博物館に行ったり、資料集の写真を親子で見比べたりすると、形と名前が結びつきます。
遺跡を地図に書きこむ
三内丸山(青森)、岩宿(群馬)、大森貝塚(東京)、登呂(静岡)、吉野ヶ里(佐賀)、大仙古墳(大阪)を、日本地図に書きこんでみましょう。場所と時代がセットで覚えられます。
「なぜ変わったか」を話す
「米づくりが始まると、なぜ争いが起きたの?」のように、くらしが変わった理由を親子で話してみてください。理由まで説明できると、記述問題に強くなります。
縄文・弥生・古墳時代のよくある質問
何年生で学びますか?
小学校の社会では、6年生で歴史を学びます。中学受験向けの教材では、5年生の後半〜6年生ごろに歴史の最初の単元として学ぶことが多い分野です。
年号は覚える必要がありますか?
この時代は、57年(金印)、239年(卑弥呼が魏に使いを送る)くらいが中心です。年号よりも、くらしの変化や道具、遺跡を確実に覚えましょう。
このあとの時代とどうつながりますか?
大和政権が力をつけたあと、聖徳太子の政治や大化の改新へと進みます。続きは飛鳥・奈良・平安時代で解説しています。
練習問題にチャレンジ
問題1:縄文時代の人々が、貝がらや動物の骨などを捨てたあとを何といいますか。
問題2:弥生時代に、収穫した米をたくわえるためにつくられた建物を何といいますか。
問題3:3世紀に、中国の魏に使いを送った邪馬台国の女王はだれですか。
問題4:古墳のまわりや上に並べられた、土でできた焼き物を何といいますか。
答え
問題1:貝塚です。
問題2:高床倉庫です。
問題3:卑弥呼です。
問題4:はにわです。
練習プリント(無料)
この記事の内容をたしかめる「初級」の練習プリントです。問題1ページと、解答・要点まとめ1ページのA4のPDFです。印刷して使ってください。
まとめ:縄文・弥生・古墳は「米づくり」を軸に
縄文時代は狩りや採集のくらし、弥生時代は米づくりが広まってむらからくにへ、古墳時代は大王と豪族が力をもち大きな古墳がつくられた時代です。米づくりを軸に、くらしの変化、道具、遺跡をセットで覚えましょう。
歴史全体の勉強の順番は時代の流れから覚える歴史の勉強法、続きの時代は飛鳥・奈良・平安時代で解説しています。