「聖徳太子と中大兄皇子、どちらが何をしたのか混ざってしまう」「墾田永年私財法の意味が、よく分からないまま覚えている」
飛鳥・奈良・平安時代は、中学受験の社会の歴史で、とてもよく出題される時代です。天皇を中心とした国のしくみがつくられ、やがて貴族が政治の中心になっていく流れを、人物・年号・文化とともに学びます。
この記事では、塾なしで中学受験を目指すご家庭に向けて、3つの時代を「天皇中心の国づくり」「律令国家と仏教」「貴族の政治と文化」の流れで整理し、家での覚え方をまとめました。
3つの時代の流れ

飛鳥は「天皇中心の国づくり」、奈良は「律令と仏教」、平安は「貴族の政治と日本風の文化」。
飛鳥時代:天皇中心の国づくり
聖徳太子の政治
593年、聖徳太子は、おばの推古天皇の摂政となり、蘇我馬子と協力して、天皇中心の国づくりを進めました。
- 冠位十二階(603年):家がらにとらわれず、能力のある人を役人に取り立てる
- 十七条の憲法(604年):役人の心がまえを示す
- 遣隋使(607年):小野妹子を隋(中国)に送り、対等な立場で国交を結ぼうとした
- 法隆寺を建てるなど、仏教を広めた
法隆寺は、現存する世界最古の木造建築として知られ、世界遺産に登録されています。
大化の改新
645年、中大兄皇子と中臣鎌足は、力を強めすぎた蘇我氏をたおし、政治の改革を始めました。これを大化の改新といいます。
- 公地公民:それまで豪族が支配していた土地と人々を、国(天皇)のものとする
中大兄皇子は、のちに天智天皇となりました。中臣鎌足は、藤原の姓をあたえられ、藤原氏の祖先となりました。
聖徳太子は「冠位十二階・十七条の憲法・遣隋使」、中大兄皇子は「大化の改新」。
奈良時代:律令と仏教
律令国家のしくみ
701年、大宝律令が完成し、律(刑罰のきまり)と令(政治のきまり)にもとづいて国を治めるしくみが整いました。
人々には、班田収授法によって口分田があたえられ、次のような税や負担が課せられました。
| 税・負担 | 内容 |
|---|---|
| 租 | 稲の収穫の約3%を納める |
| 調 | 地方の特産物を納める |
| 庸 | 都での労役の代わりに、布を納める |
| 兵役 | 防人として九州の守りにつくなど |
平城京と墾田永年私財法
710年、奈良に平城京がつくられ、都が移されました。
人口の増加などで口分田が足りなくなると、743年に墾田永年私財法が出され、新しく開墾した土地は、いつまでも自分のものにしてよいことになりました。これによって、貴族や寺社が土地を広げていき、公地公民のしくみがくずれていきました。
墾田永年私財法で、新しく開いた土地の私有が認められ、公地公民がくずれ始めました。
聖武天皇と仏教
伝染病や反乱などの社会の不安が続くなか、聖武天皇は、仏教の力で国を守ろうと考えました。
- 国ごとに国分寺・国分尼寺を建てた
- 都に東大寺を建て、大仏をつくった(752年に開眼供養)
- 行基が、大仏づくりに協力した
- 唐から来た鑑真が、正しい仏教を伝え、唐招提寺を開いた
東大寺の正倉院には、聖武天皇の持ち物など、シルクロードを通って伝わった品々が収められています。この時代には、『古事記』『日本書紀』『万葉集』もつくられました。
平安時代:貴族の政治と日本風の文化
平安京と新しい仏教
794年、桓武天皇は、都を京都の平安京に移しました。最澄が天台宗(比叡山延暦寺)、空海が真言宗(高野山金剛峯寺)を開きました。
摂関政治
藤原氏は、むすめを天皇のきさきにし、生まれた子を天皇に立てて、摂政や関白として政治の実権をにぎりました。これを摂関政治といいます。
藤原道長とその子の頼通のころが、最もさかえた時期です。頼通は、宇治に平等院鳳凰堂を建てました。
国風文化
894年、菅原道真の進言で遣唐使が停止されると、日本の風土や生活に合った文化が発展しました。これを国風文化といいます。
- かな文字(ひらがな・カタカナ)がつくられた
- 紫式部の『源氏物語』、清少納言の『枕草子』
- 貴族の住まいの寝殿造、大和絵、十二単
院政と武士の成長
1086年、白河上皇は、天皇の位をゆずったあとも、上皇として政治を行いました。これを院政といいます。このころ、地方では武士が力をつけ、平清盛は武士として初めて太政大臣となり、日宋貿易を進めました。
天皇と都の移り変わり
この時代は、都の場所と、そのときの天皇がよく問われます。
| 都 | 年 | 関係する天皇・人物 |
|---|---|---|
| 飛鳥地方(奈良県) | 飛鳥時代 | 推古天皇、聖徳太子 |
| 平城京(奈良) | 710年 | 元明天皇、のちに聖武天皇 |
| 平安京(京都) | 794年 | 桓武天皇 |
平城京と平安京は、どちらも唐の都の長安にならって、道路が碁盤の目のように区切られていました。
710年平城京は奈良、794年平安京は京都。平安京は、明治時代まで都でした。
よくあるまちがいと対策
- 聖徳太子と中大兄皇子の業績を混ぜる:「太子は604年の憲法、皇子は645年の改新」
- 調と庸を逆にする:「調は特産物、庸は布(労役の代わり)」
- 遣隋使と遣唐使を混ぜる:「隋が先(607年の小野妹子)、唐があと(894年に停止)」
- 摂関政治と院政を混ぜる:「摂関政治は藤原氏、院政は上皇」
家庭での覚え方のコツ
年号は語呂合わせで
710年(なんと見事な平城京)、794年(鳴くよウグイス平安京)のように、語呂合わせを使うと年号が覚えやすくなります。親子でオリジナルの語呂合わせを作るのもおすすめです。
「何がくずれたか」で流れをつかむ
公地公民のしくみが、墾田永年私財法でくずれ、貴族や寺社の土地が増え、やがて武士が力をつけていく、という流れを意識すると、次の鎌倉時代につながります。
文化財の写真を見る
法隆寺、東大寺の大仏、平等院鳳凰堂などは、写真を見て答える問題がよく出ます。資料集の写真を見ながら、時代と人物を結びつけましょう。
飛鳥・奈良・平安時代のよくある質問
何年生で学びますか?
小学校の社会では、6年生で歴史を学びます。中学受験向けの教材では、5年生の後半〜6年生ごろに学ぶことが多い分野です。
文化史はどこまで覚えればいいですか?
飛鳥文化(法隆寺)、天平文化(東大寺・正倉院・万葉集)、国風文化(かな文字・源氏物語・枕草子・平等院鳳凰堂)の代表的なものを、時代とセットで覚えましょう。
前後の時代とのつながりは?
前の時代は縄文・弥生・古墳時代、続きは鎌倉・室町時代で解説しています。
練習問題にチャレンジ
問題1:604年に、聖徳太子が役人の心がまえを示したきまりを何といいますか。
問題2:645年に、中大兄皇子と中臣鎌足が始めた政治の改革を何といいますか。
問題3:743年に出された、新しく開墾した土地の私有を認めた法律を何といいますか。
問題4:藤原氏が、摂政や関白として行った政治を何といいますか。
答え
問題1:十七条の憲法です。
問題2:大化の改新です。
問題3:墾田永年私財法です。
問題4:摂関政治です。
練習プリント(無料)
この記事の内容をたしかめる「初級」の練習プリントです。問題1ページと、解答・要点まとめ1ページのA4のPDFです。印刷して使ってください。
まとめ:飛鳥・奈良・平安は「国づくりから貴族の時代へ」
飛鳥時代は聖徳太子と大化の改新による天皇中心の国づくり、奈良時代は大宝律令と聖武天皇の仏教による国づくり、平安時代は藤原氏の摂関政治と国風文化の時代です。公地公民がくずれて武士が力をつけていく流れを意識すると、次の時代につながります。
歴史全体の勉強の順番は時代の流れから覚える歴史の勉強法で解説しています。